わが国英語学の祖たる市河三喜(1886−1970)は江戸後期の漢詩人市河寛斎、その子書家米庵の血を引く。幼少より書と漢文を叩き込まれるとともに昆虫と植物を中心に博物学に魅入られ、旧制中学に学ぶ間にはその知識を深めるべく英書に親しんだ。その英語力は旧制一高に学ぶころにはすでに教師と肩を並べるほどであった。 博物学を断念して英語を究めようと進んだ東京帝国大学文科大学では、外国人教師ジョン・ロレンスにより英語の歴史的研究に目を啓かれ、卒業論文 A Monograph on the Historical Development of the Functions of “FOR”(邦題『Forノ歴史的發達ニ就キテ』)(1909)は師を含め同時代の英学者・英学徒を驚嘆させた。大学院修了直後に『英文法研究』(1912)を上梓し、留学に送り出された彼は、1916年の帰国とともに母校英文科の最初の邦人教員に迎えられ、爾来日本英文学会、日本シェイクスピア協会、語学教育研究所を主導し、また数々の著作を世に送って一生を日本の英語英文学の発展に捧げた。 本書はご遺族・関係者から提供されたものを含む現存資料を網羅的に精査して得られた市河三喜初の伝記である。
第III章 少年・市河三喜 書と漢文 博物への関心 帰山(かえりやま)教諭 『博物之友』 英語への傾倒 中学生三喜の英文 Exploration of the Limestone Cave (1902) Dearth of Linguistic Knowledge of Our Students (1903)
第IV章 一高生・市河三喜 第一高等学校入学まで 斎藤秀三郎と英語 斎藤と工部大学校 仙台、岐阜、長崎、名古屋 一高、国民英学会、正則英語学校 『熟語本位英和中辭典』と晩年 三喜と斎藤秀三郎 一高での生活 一高のカリキュラム 一高の英語授業 三喜の英語修業 三喜のドイツ語修業 済州島への採集旅行 Six Weeks in Quelpart (1906)
第V章 帝大生・市河三喜 東京帝国大学入学 文科大学文学科言語学専修 三喜の就学 Raphael von Koeberとギリシア語 John Lawrenceと英文学専修 英文学演習室と学友諸氏 三喜の卒業論文 大学院での勉学 特選給付生 田中秀央、土居光知との共同生活 『英語年』と三喜 三喜の英語スピーチ 『英語年』への寄稿 『英文法研究』の出版